「わかりあえない」ということを受け容れる。【"多様性"の話】


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"多様性"というキーワードについてはこれまで少なくとも300回くらいは頭をよぎっただろうと思うので、今日はこれについてまとめてみます。

 

話は変わらないようで分かりますが、自分を蔑みたくはありませんけど、僕は八方美人なほうです。「みんな ちがって みんな いい はだまら」とかいう毛筆ふでで書いたものがあってもいいくらい、それくらい八方美人だと思います。

 

八方美人というと、「みんなにいい顔をする」「ポジションをとれない」「自分の意見が言えない」など、あんまり良くないイメージがあります。が、八方美人をやってるほうもハンパな気持ちでやってきたわけではありませんので、こちらにも言いたいことがあるわけです。

 

僕はなぜ八方美人をやっているかというと、

「"多様性"を受け容れたい」んですよ。生きてるとどうしてもいろんな人がいて、いろんなコミュニティに所属してると、あちらこちらで定期的に"内紛"みたいなのが起こるじゃないですか。

『あいつもうちょい頑張れよなー!!ガッツだせよ!ガッツ!』ていう熱い根性マンに対して、

『世の中、正論だけで人は動かないんだよぉお〜ぉ!ゆる〜く頑張りたいこっちの気持ちも少しは考えたらどうなんだいぃい??』みたくのほほ〜んと生きたいゆるふわ君もいるわけで。

そんな両者を見ているとどちらにも良さはあるわけですね。これぞ、多様性。どちら側も受け容れたいのですよ。

 

しかし、いま例として紹介した根性マンとゆるふわ君を「第三者として見てる」ぶんにはなんの問題もないのですが、八方美人が"内紛"のどちら側か本人だった場合は「"多様性"を受け容れよう」なんてことは言ってらんないわけです。

もちろん(だと思っているんですが)、八方美人な性格の持ち主はゆるふわ君タイプの人間ですので、根性マンと衝突してしまった場合、「根性マンさんがあんなにアツい気持ちを僕にぶつけてくれているのに、、なんで俺はのほほ〜んと生きているんだ!頑張らなくちゃ!」とか考え出すわけです。別に悪くないですけどね。この考え、行きすぎると壊れます(笑)自分は経験済みです。相手を尊重しすぎて自分病みます(笑)

 

この経験から気づいたんですが(皆さんは最初からわかってるかもしれませんが)、「"多様性"を受け容れよう」という八方美人はもたないわけです。(そんな八方美人は『いい人』と表現されるときもありますね。)

 

じゃあ"多様性"て何なんだよってことなんですけど、自分と異なった考え・タイプの人間を見たときに「あー、こいつとはわかりあえないなぁ。」ということを潔く認めて、受け容れることなんですよね。

人間全員とはわかりあえないわけです、それでいいじゃないですか。別に相手が悪いやつなわけでもないですし。お互い「あー、わかりあえないなぁ。」と受け容れて、各々が行きたいベクトルに進んでいきましょうよ。それでいいじゃないですか。

それこそが自分が大切にしていたい「"多様性"を受け容れる」なんだと納得したことをまとめておきます。

 


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今日のお弁当も美味しかった!

あまおう付きだよ!

それではおやすみ🤣🤣